平川裕貴ブログ
JALの元CAとして’24年1月2日のJAL機の事故に想う
2024年1月5日金曜日
2024年の幕開けは、1月1日の能登地震という最悪のスタートだった。
阪神淡路大震災の被災者である私は、それだけでもショックを受けていたのだけれど、
続く2日のJAL機の考えられないような事故に、テレビの報道に釘付けになった。
正直言って、400名近い乗員乗客の命を預かっているJAL機の機長のミスとは到底
考えられなかった。
管制塔からの許可がなければ、絶対に着陸体制に入るはずがないからだ。
恐らく海保機側に問題があったのではと思っていたが、海保機が能登地震の援助物資を運ぶために
待機していたと知って、とても心が痛んだ。
しかも5人も亡くなっている。
1人助かった海保機の機長の心情を察すると、いたたまれなくなる。
ただ、今回は大きな救いがあった。
それはJAL機の乗客乗員が全員助かったことだ。
これは本当にJALの乗員達が、立派になすべきことをやり遂げた結果だ。
元CAとしても、彼女達の仕事ぶりを称賛したいし、同じ職に就いた者として誇りに思う。
煙が充満する中で、まずは乗客達に指示を出し協力を求め、同時に機外の安全を確かめて、
どのドアを開けるかと判断をしている。
機内で子どもが「早く開けてください!」「開ければいいじゃないですか!」と叫んでいた。
子どもにしたら想像を絶する恐怖だったろうと思うから気持ちはよくわかる。
乗客達は、きっとサッサと全部ドアを開けて脱出させてほしいと思っていたことだろう。
けれど、それをしていたら、全員無事には脱出できていないはずだ。
炎が出ているところのドアを開けたり、オイルが漏れているところにシュートを下して脱出すれば
どうなるか容易に想像はできるだろう。
だから、開けても大丈夫かどうかの確認は絶対必要なのだ。
それを今回、CA達は確実にやって、安全なドアだけを開けた。
しかもたった3か所のドアから、400名近い乗客を全員避難させ、自分達も無事に脱出している。
通常脱出は機長の判断になるのだが、今回はインターフォンが通じなくなっていたそうだ。
前方のキャビン担当のCAは機長とコンタクトできたと思うが、後方のCAは
機長とも、前方にいるパーサーとも連絡が取れない中で、自己判断を迫られた。
相当なプレッシャーだったと思うが、安全なドアを開けたのだ。
この後方一か所の脱出シュートの存在は大きい。
このシュートのお陰で、後方のお客さん達がパニックにならずに冷静に避難できた。
みんな本当に模範になるような完璧な仕事をしたと思う。
そしてもう一つ、今回の脱出の成功は、日本だったから、日本人の乗客だったからだと
私は思っている。
別に差別的な意図はない。
もし、欧米でこのような事故が起きたら、きっとCAの指示を聞かずにドアを開けようとする人達や、
我先に逃げようとする人達がいるだろう。
映画の「タワーリング・インフェルノ」とか「タイタニック」などのシーンを想像する。
災害時の日本人の冷静さは際立っている。
阪神淡路大震災でも、東日本大震災でも、パニックになり泣き叫んでいる人や、
コンビニを襲っている人を見たことがあるだろうか?
もちろん、我先に逃げようとする人は当然日本人でもいるだろう。
けれど、その割合は圧倒的に少ない。
それも、今回の脱出成功の大きな要因だと思う。
私は偉そうに言えるほど長くJALに勤めたわけではないけれど、自分の強い希望で最初についた仕事だ。
今でもその時の心構えは強く自分の中に残っている。
改めて、JALの元CAだったことに誇りを持てた。
そして、後輩達の素晴らしい仕事に称賛を送るとともに、死を考えるほどの怖い思いをされた
JAL516便の乗客の皆様にお見舞いを申し上げます。
最後に、亡くなられた海上保安庁の隊員の皆様に心から哀悼の意を表したいと思います。