平川裕貴ブログ

JALへの入社が決まった頃、「なりたいと思ったことのある教師」についてこんなことを書いていた

2019年10月27日

最近、ちょこちょこいろんなものを整理し始めていて、
懐かしいものが出てきたりする。

今、JALへの入社が決まった20歳の頃に書いた「本」が出てきた。

「本」というのは、当時「白い本」というのがあって、
まあ、日記なんだけど、
本みたいにちょっと客観的に書いていたもの。

何気なくパッと開いたページに書かれていたこと
私もすっかり忘れていたことだけど、ここに
書いてみたいと思う。

20歳の私が、教師になりたいと思ったことのある
自分について書いています。

 

先生は言った。

「私たちの結婚は失敗だった」と。

「今ではもう、水と油だ」

とも。

「はじめからやり直すことも考えたけど、
今ではハンディが多すぎるからね」

ともおっしゃった。

 

先生には二人のお子さんがいらっしゃる。

私は、先生からの手紙で、先生が今の生活に

満足なさっていないことは、薄々感じていたけれども、

このような決定的な絶望的な言葉を聞こうとは

思わなかった。

 

中学時代の私にとっては、先生はあこがれであり、

理想であり、模範であった。

 

私は自分が「先生」と呼ばれる立場に立った時、

たった2週間ではあったけれども、

もし、教師という職についたら、

私は、この言葉の重みに耐えていけるだろうかと思った。

 

”模範”

私が中学時代に感じたこの言葉を、今の生徒達も

私に望んでいるのではないだろうか。

そうだとしたら、私は耐えていけないと思った。

私は子どもであったから、恋に恋する少女であったから。

 

いかにも先生然とした、周りの先生達の目。

私にまとわりつくような生達の目。

そういったものによる束縛の中に

身を沈めることは、私にはできなかった。

 

「教師」

この仕事があまりに大きく人を左右するものであるから、

そこからくる無言の束縛は、

たとえ、そこに素晴らしい生きがいが存在しているとしても、

私には荷が重すぎるような気がした。

 

私は人間だから、一人の女性に過ぎないのだから

と思うと、なんだか、教師というものが

まるで別のところに住んでいるもののように

感じられてくる。

 

教師が何事にも対しても模範でなくてはならない理由はない。

いやむしろ、一個の人間であることをさらけ出したほうが

いいのかもしれない。

私は、教師とは、教科を教えるだけのものではない

と思っているのだから・・・

 

けれど、中学生の目に、それがどのように写るだろうか

模範にならない教師というものが。

 

私達の中学時代、A先生とB先生は仲がいい とか

C先生がアイシャドウをつけている とか

D先生が見合いをした とか

先生に関してどんな些細なことでも、

私たちの話題になり、注目を浴びた。

それを思い起こすと、やっぱりこわいような

気もしてくる。

 

私の行動に、些細な言葉にも目をみはり、

耳を逆立てる生徒達。

それが束縛でなくて何か。

 

ちょっと悲観的に考えすぎだなあ。

 

生徒が、私の持つ何かを吸収して成長していく姿を見るのは

嬉しいことに他ならないと思う。

私の一言が、一人の生徒を励まし救うことができるかも

しれないのだ。

だけど、この一言が、一人の生徒を傷つけてしまうことも

あるのだ。

 

ああ、やっぱり、人を教育するなどという

大それた仕事は私にはできそうもない。

先生は情熱の塊でなくちゃ。

 

けれど、私は恩師の赤裸々な告白を

(私をもう一人前の女性と認めたからこそおっしゃったのだろう)

聞いた時、そこに教師としてではなく

一人の女性を見出したことに、ある種の感動を覚えた。

 

私が中学生でないからこそ感じられた

しかも、自分が一度でも「先生」とよばれたことがあるからこそ

感じることができたのだろう。

 

その感動、先生の告白には暗さなどなかった。

そう告白と呼ぶには、それはあまりにも軽く

先生の口からこぼれおちた。

先生は、ずい分悩み苦しまれたであろうのに。

 

私は恩師の不幸に感動などという言葉を使うなんて

不謹慎だなあ。

 

でも、今私は先生がいつか手紙で書いてくださった

”対等に付き合える”ということを

身をもって先生に教えられたような気がする。

 

そして、先生は、結婚というもの、それが決して

軽はずみであってはいけないということ。

違う環境で育ったものが一緒に暮らしていくということが

どんなにむずかしいことかを教えてくださった。

教師としてではなく、一女性として

 

この後も延々と続くのですが、ちょうど今
神戸の暴行教師が問題になっているからね。
この部分だけにしておきます。

JALへの入社が決まって東京に行くことになったので、
報告もかねて、先生と会ったのです。20歳の時です。

この先生は、私が中学1年生の時の担任。
私は、この先生に憧れて先生になりたいと思ったんです。

私が学級委員になった時、交換ノートを作って、
先生に相談したいことをいろいろ書いて渡しました。

毎日のように書いた私に、先生はいつもびっしり
返事を書いてくれました。

先生が大学を出たばかりの新任教師だったからかもしれません。
クラスについて私が書いたことが、もしかしたら
先生の役に立ったかもしれません。

私は人の悪口や陰口は大嫌いでしたから、
そういうことは書いていなかったのでね。

教職課程を取って、2週間実習に行ったので
一応、先生気分を味わえて、
先生の苦労もわかったし、まあ、自信をなくしもしたわけです。

なんか本当に懐かしい!
結構面白く書いているから、また紹介させてくださいね。

詩もそこそこ書いてますし。

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