平川裕貴ブログ

私はなぜ「日本航空CA」から「子ども英語教育」に取り組むようになったのか ①

2019年10月13日

もうずい分昔になるけれど、

私が学校を卒業して最初についた仕事は

キャビンアテンダント。

私の頃はスチュワーデスと言っていた。

国際線を飛び、

当時はまだ便数も今ほど多くなかったので

海外で優雅に時間を過ごし、

エルメスのスカーフやオロトンのバッグなどの

ブランド品を買ったり、

北京ダックやステーキのような

高級料理だって、いっぱい食べられた。

当時はまだ珍しかったヨーグルトのお店を

オランダで見つけた時は、

「これ、日本に持っていったらはやるかも。
JALを辞めたらヨーグルトのお店をしようかな」

とか、

「輸入品を扱うブティックがいいかな」

なんて、

もともとあまり結婚願望がなかったので、

自分でビジネス、

というか一国一城の主に憧れていた。

会社務めではなく、自分で何かをしたいと思ったのには

実は理由があるのだけど、

その話は、また別の機会に譲るとして、

そんなことを考えていた私が、

なぜ小さな子どもと接するような

英会話教室を始めたのか。

もう、30年以上前のことだから、

まだ、子ども向けの英会話教室なんて

それほどなかった。

大人向けの教室はどんどんできていたけど。

小さい子どもを預かるスクールだから、

子ども好きの、ふくよかで優し気な

幼稚園の先生みたいなオーナーを

期待していたお母さんも多かっただろう。

初めて見学に来たお母さんから、

なんとなくそんな雰囲気を感じたことが

何度もあった。

当時の私は、いつもスーツを着て、

どちらかと言うと、

キャリアウーマンって感じだったから。

そのたびに、見た感じは

違和感があるのかもなんて

思ったりもしていた。

でも、私は子どものための英会話教室という

仕事を選んだわけだ。

そして、もう40年近く、子どもの英語教育に

取り組んでいる。

今では見た目の違和感は

まったくとは言わないけれど

なくなったと思う。

なぜって?

あちこち膨らませているから(笑)

で、話を戻すと、

私が子どもの英語教育に取り組んだのは

JALのCA時代の

恥ずかしく、ショックな出来事があったから。

私はまあ、英語の成績も悪くなかったし、

国際線を飛んでいたわけだから、

機内での外国人のお客様とのやり取りに

困ることなどないだろうと思っていた。

でも、

あれはロスアンゼルス行きの夜行便での出来事。

私は、アメリカ人のお客様が注文した飲み物を

まったく聞き取ることができなかったのだ。

聞いたことのない飲みもの。

「なんだなんだ?」

と顔では必死に笑顔を作っていたけど、

心の中はパニック。

その飲み物が何かわかった時のショック!

2歳の子でも知っているような単語だった・・・

 

さて、長くなったのでこの続きは次回に。

 

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