平川裕貴ブログ
宗教心は大切 でも私が特定の宗教団体に興味がない理由
2019年10月1日時期を開けて書こうと思ったけれど、
忘れちゃいそうなので、書いときます。
誤解のないように言っておくと、
私は特定の宗教団体には一切属していないけれど、
宗教心はとても大切だと思っています。
ただ、私が宗教団体にまったく興味がない理由は
子どもの頃のこんな経験からです。
子どもの頃、たぶん小学校1年生くらいの時、
宗教の勧誘に来た人が、他の宗教団体の悪口を
いっぱい言って勧誘しているのを聞いて
「人の悪口を言うことを許す神様って変!」
と思ったんです。
その後も、貢物をしたりお布施をたくさん出すと
出世するみたいな話を聞いて
「神様がお金を要求するなんておかしい!」
と益々不信感を募らせ、人が勧誘にくるような
宗教団体には一切興味がなくなったんです。
ただ、宗教団体に属している人は、正しい行いを
しようと努力している人が多いから、
宗教心って大事だなあとは思っています。
決して、宗教団体に属している人を
批判するつもりではありません。
気を悪くされる人がいたら、ごめんね。
でもね、宗教に限らず、どんな業界や世界にも、
地位が上がるにつれて、お金に対する欲を
膨らませる人がいて、
自分の利益しか考えない、そういう人が
なぜかトップになっていくことが多い。
いわゆる「やり手」といわれるような人達なんだけど。
私自身が考える神様は、
実は、昨日お話した
意識エネルギーこそが神
だと思っていて、
ということは、私達はすべて神からできている
というわけ。
(ここはまた別の機会に詳しくお話するね。)
すべてのものに神が宿るという
神道でいう八百万の神かな。
私の両親とも祖先が神主だったらしいから、
DNAレベルで、その影響を強く受けているのかも。
これは、震災後の長い苦しみの中で、
「自分は何のために生まれてきたのか」
「生きる目的は何か」
「どうして、こんなつらいことが人々の
身の上に起こるのか」
というようなことを、考えて考えて
自分なりに導き出した答え。
私の勝手な考え方だけど、
こう考えると、いろいろ納得できることが
多いのよね。
私達はみんな神からできているから、
神にえこひいきはない。
神はただそこにいるだけ。
では、なぜ人は厳しい試練を与えられるのか?
当然こんな疑問がわいてくるよね。
私はね、ある程度自分の人生は
自分で設定して生まれてきていると
思ってる。
病気や事故、経済的困窮、人間関係
みんないろいろなテーマを持って
生まれてきている。
何のためにうまれてきたのか?
自分のテーマから、何かに気づき、
何かを学ぶために。
その気づきは、試練を乗り越えた時に
やってくる。
昔から言うよね。
乗り越えられない試練はないって。
当然だよね、自分で設定してきた人生だから。
今日のポイントは、
試練は、何かに気づき、
何かを学ぶため。
でした。
抽象的な話でごめんなさい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<Facebook>>
平川裕貴
<平川裕貴著書>
『モンテッソーリ教育で伸びる子を育てる』
モンテッソーリについての説明や、家庭でモンテッソーリ教育を取り入れる方法や子どもを自立させる方法、さらに中立的な立場からメリットだけでなく、モンテッソーリ教育の不安点も書いています。
『5歳からでも間に合う お金をかけずにわが子をバイリンガルにする方法』
30年以上にわたり英語教育に携わってきました。これから英語教育を始めたいというママのための入門書
『グローバル社会に生きる子どものための‐6歳までに身に付けさせたい‐しつけと習慣』
30年以上にわたり欧米文化に触れてきた経験から、日本人として大切なことや日本人に欠けていることなど、これからのグローバル社会に生きる子ども達のために大切なことを書きました。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~