平川裕貴ブログ

キンダーのお母さん達へのメッセージ

2020年3月21日

1988年、私は外資系英会話スクールを辞め、夫は神戸製鋼を退職して、神戸市六甲に、

子どものための英会話教室『リリパット』を開校しました。

リリパットはジョナサン・スイフトの『ガリバー旅行記』の中の小人国の名前です。

 

1989年4月には大阪の千里中央に、同じ年の9月には神戸市西区の学園都市に3校目を開校。

その後、『ネバーランド』として別システムで開校していた宝塚市の逆瀬川教室を

『リリパット』に業態変更し、明石市にも小さなブランチを開校しました。

まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、教室を開校していきました。

 

その間、経営者として勉強したくて、『関西エグゼクティブウーマンの会』という

働く女性の会を創り、毎月講演会やセミナーを企画、開催していました。

忙しくても活気に満ちた楽しい日々。私の人生は順風満帆だと思えました。

 

でも、ある日突然私の人生は変わりました。

1995年1月17日午前5時46分に起こった阪神淡路大震災です。

多くの方が亡くなったりケガをされたり、自宅を失ったりした中で、芦屋市の自宅マンションで、

奇跡的に切り傷一つ負わず、半壊とは言え、自宅で過ごすこともできました。

 

けれど、経営者としては苦難の道を歩むことになりました。

ある日突然、収入が0になってしまったからです。

教室展開のための初期投資が、借金として大きくのしかかりました。

さらに震災復興のために借金をしましたから、その後も収入に見合わない借金の返済に

追われることになりました。

 

借金を返済するために、親や妹、さらにはカードローンからも借りまくりました。

ただただ、会社を潰したくないという思いからでした。

それらの借金はすべて返済しましたが、結局20年位かかりました。

 

震災後、英会話教室は、六甲と学園都市の2校に絞り、2006年からは幼稚園型の

英語プリスクールを始め、それは大きな評判を呼びました。

それなのに、なんと、借りていた物件の立ち退きを言い渡されてしまいました。

外国人向けの、ワンフロアに一件の高級マンションだったのですが、オーナーが変わり、

このマンションを建て壊してワンルームマンションを建設するというのです。

立地、スペース、諸条件に合う物件はなかなか見つからず、結局、

「こんな場所で生徒を集められるとは思えない」

という夫の反対を押し切って、御影の山の手の一軒家に決め移転しました。

その時、JRからも阪急からも徒歩5分圏内という立地で集まっていた英会話教室の生徒の

ほとんどを失いました。

 

幼稚園型のリリパット・リトルキンダーは、当初は保育士資格を持つ女性を採用し、

外国人講師と一緒に指導にあたってもらいました。

その間、ベテランだった彼女のやり方を観察し学んでいました。

そして、彼女の退職を機に、私自身が保育士の資格を取り、保育することに決めたのです。

もう50代後半になっていましたが、新米の保育士としてスタートしたわけです。

あったのは、子ども英会話教室時代にたくさんの親や子ども達と接した経験と、

子どもの教育に対する確固たる信念だけでした。

 

実は私は、幼稚園に行っていないので、幼稚園のことをよく知りません。

昔は就学前の1年間幼稚園に通うというのが普通でした。

私は入園式に行った次に日に、近所のおばさんに私の歩き方がおかしいと言われた母が、

私を病院に連れて行き、即入院することになったからです。

股関節の亜脱臼で、半年くらい入院したのです。やったのは足を牽引することでした。

母が近所のおばさんの言うことを聞いて、すぐに病院に連れて行ってくれたおかげで、

私はその後普通に生活することができたのだと思います。

 

そんな私ですから、逆に型にはまらない幼児教育ができたのだと思いますが、

一般の幼稚園でやっているようなことを、あまり知らないという部分もありました。

そこを、埋めていってくれたのが、これまでの生徒のお母さん達でした。

キンダーには、保育士や幼稚園教師の資格を持ったお母さん達も結構いました。

日本の幼稚園の実情を知っているから、リリパットのポリシーに引かれたというお母さんも

たくさんいたのです。

リリパットには、帰国子女も多いのですが、それは、英語力の問題もありますし、

海外の教育をみれば、日本の幼児教育のあり方に疑問を持つことも多いからだと思います。

 

そんな多くのお母さん達が、いろいろなアイデアを出してくれ、すでに60代に突入した

私の体力も気遣って、みんなで助け合ってくれたのです。

運動会のアイデアをだしてくれたママ、卒園式の衣装を提案して作ってくれたママ、

夏祭りや泥んこ遊びを企画してくれたママ達。卒園式のプレゼントやサプライズもママ達の演出です。

多くのお母さん達の子どもへの愛情と行動から、今のリリパットは出来上がっています。

私自身、基本的なポリシーさえ守れれば、子どもの思い出つくりのために、

お母さん達がやりたいということは、どんどんやっていっていいと思っています。

ですから、これからもいろいろなアイデアがでてきて実行していくことになるでしょう。

 

大きな幼稚園のようなことはできないし、普通の幼稚園とはまったく違うかもしれないけれど、

子ども達の人生の中で、リリパットで過ごした時間は、きっと大きな意味を持ってくるだろうと

確信しています。

なぜなら、世界は今大きな変化の時を迎え、これまでの日本的常識が通じないような

世の中になっていくからです。

新しい時代を創っていくのは、たくましく生きていける人間です。

決して親や先生の言いなりになる聞き分けの良い子達ではありません。

自分の意見をはっきり言える子、相手の意見も尊重できる子。

時として、クラスで浮いてしまうような子かもしれません。

先生の言うことを素直に聞かない反抗的な子と思われてしまうかもしれません。

元気過ぎて、やんちゃだという烙印を押されてしまうかもしれません。

でも、みんなと同じでないことを、心配しないでください。

みんなと同じでないことを誇りに思ってください。

あなたの子どもを信じてください。そして、いつも味方でいてあげてください。

 

お母さんがコントロールできる小さいうちに、やんちゃでいてくれる方が、ずっとありがたいです。

いっぱいしてはいけないことを教えられますから。

特に男の子は、身体が大きくなってから反抗されると、お母さんは太刀打ちできません。

幼児期に押さえつけられてきた子達が、家庭内暴力や引きこもりになっているのです。

マグマは限界に達すると必ず爆発します。

そのことをどうか忘れないでいてください。

 

私も、これまでもっとお母さん達に寄り添ってあげられたんじゃないかと、反省しています。

私自身まだ保育者として自信がなかったのでしょう。

でも、これからはきっと、今までよりはもっと近く暖かく寄り添っていけるような気がしています。

皆さんとの絆は、私にとってもとても大切な宝です。

 

実はずっと前からやりたいと思っていたことがあります。

それは、キンダーの在園生や卒園生のお母さん達が集まれる「リリパットマザーズクラブ」です。

Lilliput Mothers Club LMC という英語名まで考えていました。

年に1回か2回、在園生や卒園生ママが集まって近況報告や本音を言い合える

ストレス発散の場を作れればいいなと。

なかなか本音を言い合える仲間っていないでしょう。

幼稚園時代のママ友って、実は一番接する密度が高いので、いいお友達になれることが多いのです。

Zoomで開催なんてこともできるかもしれませんね。

 

と、なんだかとりとめもなく長く書いてきましたが、本当はまだ言いたいことはあるんですけど、

また別の機会に話しますね。

新型コロナウイルスに関しては、極度に恐れず、でも十分に注意して、必要な備えもして、心穏やかに過

ごしましょう。

これは、もうどうしようもないくらい腐敗してしまった世界を、

大きく変えるチャンスでもありますから。

感染した人を責めず、感染医療に立ち向かっている医師や看護師さん達に、

声援と感謝を送りましょう。

見えない現場で働いてくれている多くの人にも感謝しましょう。

そして、子ども達のために、素晴らしい未来がやってくるように祈り行動しましょう。

 

2020年3月20日
平川裕貴

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