私が自由遊びを大事にしている理由
皆さんこんにちは!神戸のインターナショナルスクール リリパット・リトルキンダーの平川裕貴です。
今日は朝から雨。
気温は高くないものの、湿気が多くて不快な天気でした。
子ども達に自由に遊ばせているので、朝のプレイタイムはとてもうるさいです。
今日のように不快指数が高い時は、自由に遊ばせるのではなく、私が指示して
みんなに静かに同じ遊びをさせたくなったりもします。
でも、それをしてしまうと、子ども達の特性や性格などがわからなくなります。
例えば、同じおもちゃを使いたがった時、どのような態度を取るのかは、こちらが
指示して遊ばせていてはわかりません。
今では多くの幼稚園や保育園などで、たいてい事が起こる前に止めてしまうようですね。
あくまでも自己主張して譲らないのか、すんなり相手の言いなりになるのか。
このペアは喧嘩になるのか、譲り合いになるのか。どんな相性なのか。
それは自由にふるまう時間を与えてこそわかることなのです。
どちらがいい悪いではなく、それはその子の特性なのです。
また、家庭で親兄弟に対する態度と、他の子ども同志で遊ぶ時では態度は全然違ってきます。
だから、言ってみれば親は子どもの半面しか知らないのです。
社会で見せる顔と家庭で見せる顔は、大人でも違うでしょう?
私は子どもが子どもの社会で見せる顔を知って、社会生活に必要なことを
教えていく必要があると思っているのです。
それが、幼児教育だと思っているのです。
当然ながら、一人一人抱えている問題やテーマは違います。
だから、自由に遊ばせて、物事が起こった時の態度を見るしかないのです。
私が叱るのは、その態度が周りに対しても、その子にとって良くないと思う時です。
その子がこれから社会生活をおくる上でマイナスになると思うからです。
逆に良い行いをした時は、しっかり褒めます。
その行為が周りの人達に対しても、自分にとってもプラスだよと知らしめるためです。
教育とは、特に幼児教育とは、毎日毎日その繰り返しです。
まあ正直言うと、私も聖人ではありませんから、
時には感情が走ってしまうこともありますけど、基本子ども達のために
叱っているから、子ども達が私を怖がらずになついてくれるのだと思います。
怖い先生が言うから聞く、と言うのでは意味ないのです。
私の言葉が子ども達の心に届くことを願って、明日もきっと褒めたり叱ったりだな。
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